ジャン・コクトー『美女と野獣 4Kデジタルリマスター版』

早稲田松竹の特集上映「早稲田松竹ラシックスvol.203/ジャン・コクトーとその時代」でジャン・コクトーの『美女と野獣 4Kデジタルリマスター版』を観た。

私はコクトー原作の映画は『オルフェ』と、あとおそらく『恐るべき子供たち』も観たことがある。『美女と野獣』も『オルフェ』と同じく鏡と手袋というアイテムが使われていて面白かった。

実は「美女と野獣」を初めて映画化したのがコクトーらしい。1946年、第二次世界大戦の一年後に封切られたということだから、おとぎ話の世界観をそのまま残したこのファンタジー映画が戦争で荒廃した人々の心を癒したであろうと想像できる。

ちょうど先日、ネイルサロンでディズニーの実写版の『美女と野獣』が流れていたので観たんだけど、ディズニーのアニメ映画『美女と野獣』は1991年で、当然コクトーの『美女と野獣』よりも後。ディズニーの映画でポットやカップが歌ったり踊ったりする場面が私達にはなじみ深いと思う。一方で、コクトーの『美女と野獣』では、廊下の壁の燭台が人間の腕によって支えられていたり、テーブルの上の人間の手がワインを注いだり、人間によって演じられる人像柱が生きているように顔と目を動かしたり、という演出がなされている。この城の中の場面が、怪奇で不気味でもあり、幻想的でもある。

最後、野獣の財宝を盗もうとしたアヴナン(兄の友人で、ベルに求婚していた)が像に矢を射られて死に、それと同時に、死んだ野獣が元々の美しい王子の姿で蘇る。この王子はアヴナンと瓜二つであり(実際ジャン・マレーが二役で演じている)、「どうした?」「兄の友人に似ているから驚いたの」「(その男を)愛していたのか?」「ええ」「その男に似ているのが嫌か?」「嫌だわ。いいえ、やっぱり気にならないわ」というようなやり取りも交わされる。

この場面の意味についてずいぶん考察し、ネットの色々な記事も読んだが、こちらの論文(要約)の説明が最も納得する。

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/59502/28662_Abstract.pdf

「……美青年アヴナンは、その行動は乱暴で、野獣とは正反対の人物として描かれている。ベルが野獣へ愛の告白をするシーンとアヴナンが矢に刺さって死ぬシーンが並行モンタージュされて、それが映画のクライマックスとなっている。最後に、アヴナンは野獣になって死に、野獣は王子となって生き返る。こうして両者は表裏一体の存在となる」