猿之助さんのこと

馬鹿、馬鹿、馬鹿、自殺なんてしようとすることなかったんだ、本当に馬鹿なことをして。

やるせない口惜しい思いと、昨今の週刊誌の有名人だからといってプライベートや不祥事を過激に叩く風潮に対する憤懣やるかたない思いがあって、夜毎猿之助さんの件について最新情報をチェックしていた。友達のいない私には、舞台でしょっちゅう観ていた猿之助さんに起こった出来事が、まるで近しい人間に起こったかのようにショッキングだった。

しかし、文春オンラインの5/24 16:00配信の有料記事を読んで、彼が事件直後に「大好きなラスベガスには何回も行けたし、仕事も充実してた。この世でやり残したことはない。転生できるのが楽しみだよ――」「うちの宗教は仏教の天台宗。信じる者は、来世で再会できるのです」と語っていたと知り、彼(あるいは彼を含めた家族)が完全に絶望的な・悲壮な気持ちの中で死のうとしたのではなく、転生を信じていたため、本当に軽やかな、綱のこちら側からあちら側にひょいっと飛び越えるような感覚で死のうとしたのだと思い、少し安心して気持ちが楽になった。「なぜこの程度のスキャンダルで」と世間でも疑問の声が上がっていたようだが、おそらく彼らと同じ信仰のない我々よりも自殺のハードルが低かったのだろう。彼が死ななくてよかった。まだ現世でやるべきことがあるから、何か大きな力が彼を現世にとどまらせたに違いない。彼はやり残したことはないと言っているが、私は彼にまだ芸を見せてほしい。記事の言っているように法の力には従わなければいけないかもしれないが、それでも時間がかかっても私は彼に歌舞伎界に復帰してほしい。

猿之助さんの事件でショックを受けていた時、彼が舞台で見せた数々の芸ばかりが思い出された。ただ美しいことのみが思い出された。

『澤瀉十種の内 浮世風呂』の粋な三助の姿、『三代猿之助四十八撰の内 當世流小栗判官』の小栗、『澤瀉十種の内 猪八戒』の可愛らしい童女姿、『天一坊大岡政談』で「うさぎうさぎ   これうさぎ、お前のお耳はなぜ長い~」の合方で花道から登場する法澤、『三代猿之助四十八撰の内 新版 伊達の十役』の十役早替り、『蜘蛛の絲宿直噺』の六変化、『色彩間苅豆』のかさねの連理引き、『三代猿之助四十八撰の内 義経千本桜 川連法眼館の場』で宙乗りで飛び去っていく源九郎狐。私が2019年9月から観ていて思い出せる限りでざっとこれくらいなのだから、彼の芸は本当に枚挙にいとまがない。特に早替わりと宙乗りは素晴らしい。これらに関して彼に取って代われる役者はいないだろう。