高尾山、そして六根清浄と大天狗・小天狗

高尾山薬王院の夏のライトアップに行ってきた。

16時頃八王子で軽く食事してからタクシーでケーブルカーの乗り場(清滝駅)に向かう。タクシーの車窓からお神輿が準備してあるのや法被を着ている人達も見え、どうやら地元の氷川神社のお祭りがあるらしいことが分かった。

ケーブルカーに乗って高尾山駅で降り、薬王院までだらだら登って行く。色々な種類の蝉の声がオーケストラのように降り注ぐ中、道の両脇の燈籠に灯りが点ってえもいわれぬ風景だった。山門には沢山の風鈴が下がって涼しげな音を立てていた。登ってる途中ところどころに「六根清浄」と書かれた石車があったが、山門を入るとその石車のでかいバージョンと大天狗・小天狗の像が立っていて、三遊亭圓生さんの『梅若禮三郎』という落語で、長屋の衆が捕えられた女房おかのを心配して水垢離を取る場面で「さんげさんげ六根罪障、大天狗小天狗、もひとつおまけに中天狗」と唱えているのを思い出した。(※中天狗なんてものはない)これについては、長くなるので、後ほど記述する。

ちょうどライトアップが始まる時間に着いたので、手水舎が青く光っていて綺麗だな〜と眺めてて振り返ったらさっきまでなんともなかった大天狗・小天狗の像が赤と緑の光に染め上げられてて笑った。御本堂の屋根の張り出した部分の龍の彫刻も見事だった。

お寺を出る時に山門のところでたまたま辻説法が始まって、聴けたのもありがたかった。

帰りは高尾山口駅でまたタクシーに乗って八王子駅まで戻ったのだが、タクシーを待っている間中、近くでやっているらしい氷川神社のお祭りのお囃子が聞こえてきた。私、田舎の地元のお祭りって好きなのよねえ。はかなくて、情緒があって。こういうふうに旅先で偶然田舎のお祭りに行き合わせるのが好き。

高尾山に登った時、山道のところどころに「六根清浄」と書かれた石車があり、薬王院にその石車のでかいバージョンと大天狗・小天狗の像が立っていたのを見て。

三遊亭圓生さんの『梅若禮三郎』という落語で、長屋のみんなが捕えられたおかのが早く帰ってくるようお願いするために両国で水垢離を取る場面で、こんなふうに唱えているのを思い出した。

「うううう……おお寒い、寒い、寒い。さあさあさあ、みんな一所懸命やっとくれよ。いいかい。ほらッ。慚愧慚愧(さアんげさアんげ)、六根罪障」
「慚愧慚愧、六根罪障」
「大峰八大(おしめにはったい)、金剛童子
「大峰八大、金剛童子
「大山大聖(おおやまだいしょう)、不動明王(ふウどうみょう)」
「大山大聖、青大将」
「おいおい、だれだい?よけいなことを言っちゃいけない。しっかりやっつくれよ。ほら。大山大聖不動明王
「大山大聖不動明王
「石尊大権現(せエきそんだアいごんげん)
「石尊大権現」
「大天狗(だアいてんぐ)、小天狗」
「大天狗、小天狗」
「もひとつ、おまけに中天狗」
「おい、だれだい?変なことを言ったのは。だめだよ。ふざけねえで、一所懸命やってくれ。いいかい?ほらッ、慚愧慚愧、六根罪障」

それで、「六根清浄」(あるいは六根罪障)とと大天狗・小天狗ってなんか関係があるのかと思って調べてみた。

まず、両国の水垢離だが、江戸時代に寺社参詣を兼ねた物見遊山の旅が増え、その中でも人気の高かったのが大山詣り。大山は山岳信仰の対象とされてきた霊山。大山詣りに行く者は両国橋のたもとの垢離場で水垢離を取り、「さんげさんげ六根罪障〜」を唱えた。(「六根清浄」と唱える場合もある)『梅若禮三郎』に出てくる両国の水垢離はこのことらしい。

もっともこの長屋の連中は、大山詣りに行くわけではないのだが、江戸の年中行事を月順に略説した『東都歳事記』に大山詣りについて、「石尊垢離取(こりとり)、大山参詣の者、大川に出て垢離を取、後禅定す。又重き病ある時は、近隣の者川にひたりて、当社を祈る。」という記述があるので、大山詣りに行くのでなくても、単に病気治癒とか、何か願掛けがある場合でも水垢離をしていたのかもしれない。

「六根清浄」は、心身を清らかな状態にするという意味。山岳信仰における修行の掛け声として使われており、霊山などに登る際、「六根清浄」と唱える。高尾山もまた山岳信仰の山。

そして、大天狗と小天狗についてだが、「さんげさんげ〜」の文句に出てくる石尊大権現、大天狗、小天狗はどれも大山の山頂で祀られ信仰されている存在であった。また、中腹には不動明王も祀られている。大山には色んなものが祀られていたんですね。

高尾山でも、天狗はご本尊の飯縄大権現の眷属(随身)として、多くのご利益をもたらす役割を持っている。高尾山は天狗信仰の霊山としても知られている。

ちなみに私は、『梅若禮三郎』で水垢離が終わった後その中の一人が居酒屋に入って一杯飲んでいたところ、屑屋さんの一行が入ってきて、その屑屋さん達が、大きな声で呼ばれた時はろくなことがない、小さい声で呼ばれた時は儲けがある、などとくだらない話をずーっとしてる間延びしたシーンがすごく好き。

※落語の部分は『圓生の落語1 双蝶々』(河出文庫)から引用しました。