大人っぽい服装を好むようになった話

あんなに好きだったロリータ系の服を全然着なくなり、欲しいとも思わなくなった。大人っぽい、エレガント寄りの服を着た時の自分を好きになり、そういった服を好むようになった。

 

おそらく、「こういう服が着たい」ということと、「どう見られたいか」「自分がどういう場で、誰の隣にいて、どうありたいか」という現実世界の中の自己イメージが、合致したんだと思う。

 

かつての「こうありたい」自己イメージって、KERAの「ノケモノと花嫁」のヒツジだった。背の高い吸血鬼とか、執事とか、パパとか、何か人外含むそういった者が傍らにいて、自分はそれに比してすごーく背が小さくてフリフリの服着てるの。

 

でもそういったシチュエーションってなかなか現実にそぐわない。もちろん、ロリータファッションの私を好きだと言い、それっぽく振る舞い、人形のように愛玩してくれる男性もいた。でもそういったロリコン男性って往々にして若かったり、収入が少なかったりして、社会的弱者であることが多かった。(もちろん桁違いの高収入でロリコン、という男性もいるとは思うが、私の好みである経営者層にはあまりいない気がする)

 

だから例えば、私がゴスロリっぽい服着てるのが好き、もっとそういう服着てほしい、と言われるけど、じゃあ買って、買ってくれたら着るけど、と言うと、うーん、それはちょっと、となるのだ。

 

エグゼクティブであるほど大人っぽい、知的な女性を好む気がする。私はそういう風に扱われることの方がしっくり来るようになった。具体的な自己イメージで言うと、陳腐だが、高級レストランのフロアで社会的地位のある男性にタイトなワンピースを着て寄り添って微笑んでいる感じだ。そういった格式のあるレストランやホテルのバーだと、ロリータ系の服はふさわしくなくて、大人っぽい服の方がふさわしいということになる。

 

子供っぽい服装をして、彼らに恥をかかせたくない、という思いもあるかもしれない。先日、靴を買う時にジルのパンプスがいいなと思ったけど、太いヒールに大きなビジューがデコラティブに散りばめられているのを見て、「◯◯さんはどう思うだろうか」と考えて、手に取ってたのをやめた。そういう思考をしている自分に、驚いた。そして当然だが、大人っぽい服装をしている今の方が、お金の入りは多くなった。

 

愛着の問題があるので、「幼くなければ愛されない」「子供のままでいなければ愛されない」という強迫観念もあったと思う。でも、おそらく、大人になっても愛してもらえるのだ。大人の私でも愛してもらえるのだ。このことも、服の好みの転換のきっかけとなる、大きな発見だった。